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6歳までのわたしは暴君だった

わたし つぶやき

あなたは人に素直に甘えられますか?
どんなことでも。
どんな些細なことでも。
どんなにバカげていることでも。
甘えている人を見て、あなたはどう思いますか?

* * * * *
わたしは、人に甘えるのが不得意だ。
でも甘えていないわけではない。
甘えていなければ、ここまで生きて来ていないだろう。
いつから甘えるのが不得意だと思うようになったのだろう?
昨日は、いろんなことをoutputする中で、考えてみた。

少なくとも6歳まで、
小学校入学する前までは、家の中では「暴君」だった。
「暴君」というと、いろんなイメージがあると思うが、
絶対的決断権を持っているのが末っ子のわたしだった。
反面、自分で出来ることは自分でやりたがり、
靴も絶対に自分で履かないと嫌がる子だったとか。
自立心が旺盛だった所もあった。

「暴君」の話に戻ると、
わたしは、小学校入学する前までは、大の偏食家だった。
食べるものが決まっていて、
ご飯、お肉全般、ハンバーグ、しらす干し、キャベツ、きゅうり、卵。
これくらいしか食べなかった。
だから、母が家族に作った物はほぼ一切食べない。
自分だけ別メニュー。
それが許されているほど、甘やかされて育った。
母には、「学校で給食になったら、一体この子はどうなるのだろう?」
と心配されていたが、給食1日目から、中学卒業まで、
給食を残したことは1度もなかった。
今でも覚えているのは、給食が食べれるか?とどこかで心配していたのが、
「あれ?おいしいじゃん。全然イケんじゃん」と人参や野菜を食べられたこと。
それ以来、家でも野菜を食べられるようになった。

* * * * *
幼稚園と小学校で、かなりアイデンティティが変化した記憶がある。
甘え暴君だったのが、わがままを一切言わない「良い子」へ。
何があったんだろう?
思い出すのも困難なほど、「ショック」が入ったのかもしれない。
(このままのわたしでは、「社会」では通用しないわ、と思ったとか)

甘えてなかったわけではないが、だんだんと甘えるのが不得意だと思うようになり、
甘えている人=× という判断基準を持つようになった。
甘えるのが不得意というか、人に頼る、のが、ということも言える。

* * * * *

自分の「範囲」を広げるために、
自分では苦手だとか、不得意だとか、イメージにない、とか
そういうことをあえてやる、そのトレーニングをしているところです。